ありがとう、また会いましょうの3月に


日本中で「おめでとう」が響きわたる3月は「さようなら」「また会いましょう」の季節。
さようならは、未来からの力強いエールだと、最近私は思っている。
今年の桜はちょっと遅めで、まだ咲き誇るまではいかないけど、二子玉川をグルリとまわり、
多摩川側にやっと見つけた。
ちょっと鮮やかなピンクが印象的、なかなかの力強さだ。



蔦屋家電がオープンしたのは、おととし2015年の5月、気持ちのいい初夏だった。

1F バスロータリー側のフロントにそれは長蛇の列ができ、ありがたいなあと胸がキュンとしたものだ。

デザインが素敵な家電店、「あ、こんなふうに暮らしたい」のライフスタイルを感じる家電店、新しい家電店をつくりたいという想いがどんなふうに広がり、足を運んでくださるお客さまや、インターネット上で興味を持ってくださるみなさまに、どんなふうに届けられるか、試行錯誤を続けながら、間もなくオープン2周年を迎える。



「家電とは何だろう」いつも自分に問いかけてきたが、今はこんなふうに思っている。

家電は過去と未来をつないでいるということ。それはとても人間味あふれる存在だということ。
家電のおかげで、新しいことを知ったり、挑戦したりして、私たちの毎日はとても楽しい。

『下町ロケット』で佃航平さんが語っていたように、もっと便利に、もっと豊かにと誰かを想う気持ちが、新しい家電をうみ、それを進化させてきた。洗濯が進化して、おかあさんの手荒れがよくなるといいのに。世界をもっと広げたい、世界ともっとつながりたい。そんな想いが、社会を大きく変えてきたのだ。

古人たちの想い描いた理想の世界をつくれているだろうか、そう聞かれるとちょっと自信がないが、おかあさんの手荒れはよくなっているはずだ。



いつも想っていることは、もうひとつ。明かりは希望だなあということ。
暗いなか、明かりを見つけたときの安心感やホッとする気持ちは、今も昔も変わらない。
残業した帰り道、向こうのビルの上階に明かりを見つけて、あぁみんな頑張っているなと、見知らぬ誰かに勇気をもらったり、こちらが点けている明かりが、誰かの踏ん張りになったり。
科学が生んだ明かりの人間性を、忘れないようにと想っている。
灯す明かりは、きっと誰かの明かりになる。だから、明かりを絶やさずに、希望を捨てずに頑張らなくちゃと想っている。




あふれる「おめでとう」と過ぎ行く季節を想いながら見上げる桜。
神さまが私たちに贈ってくれた美しい花は、涙がこぼれないようにと 樹木に咲く花なのだろう。


担当者はこの記事を最後に卒業。

続けてこられたのは、画面の向こうで読んでくださるひとがいたから。心から感謝している。

ありがとうございました。そして、またいつかお会いしましょう。

愛しの二子玉川 蔦屋家電はさらにつづく。